2011年11月30日
twitterでのデモに関する議論について (2011.12.4 更新)
一部の区民の方々から、私のデモに対するスタンスについて、ツイッター(※1)にて問題提起を頂きました。以下に、考え方をまとめさせて頂きます。
(※1) ツイッター上でのやりとりは、( http://togetter.com/li/219031 )にある区民の方がまとめて下さいましたので、ご覧下さい。
<私のデモに対する認識>
デモとは、ある目的に対して、行進等を通じ、人々が意見をオープンに唱える貴重な手段と認識しています。例えば、フランス市民革命やアメリカの公民権運動のように、デモによって歴史が塗り替えられてきた事もあります。現在では「さようなら原発1000万人アクション」のように署名活動とデモ行進を組み合わせ全国的に活動をする動きも現れています。
<今回私が課題としたこと・伝えたいこと>
① 1点目では、私は充分な対話がないままで「決めつけてしまうこと」や「レッテルを貼ってしまうこと」に対しての違和感を感じてきました。実際にあった事ですと、例えば、デモの参加に迷ったら「脱原発の姿勢を疑う」、また、保育園の民営化についての意見交換では「民営化をしても、保育の質が向上する可能性がゼロとは言えないと思うので、民営化の課題とその解決策の有無、また民営化の利点について明確にならなければ判断は難しい」と話したところ、「迷う時点でだめだ。あなたは新自由主義者だ」という反応が返ってきました。
予想とは違った回答がきたときに、主義・主張や固定観念から批判してしまっては、分かり合えるものも分かり合えないと私は考えます。
② 2点目として、私が申し上げたいのは、デモも署名活動もNPO活動もその他各種活動も、工夫をしなければ効果は出にくいということ。
③ 3点目は、 デモのみならず、どの活動も万能ではないということ。区民も政治家も1人ひとり、それぞれが選択した手法で表現することを尊重することが大事と考えます。
<今回の経緯>
当初ツイッターでは、「署名やデモは、効果があるのか」という話題があがっていました。私は「今回の板橋区議会に出された放射線の請願については行政に対して大きな効果があった」という事実をお伝えし、そして、デモについても「意味がない訳ではないと思う」というコメントをしました。(「ない訳ではない」と書いたのは、宮台真司氏のリンクのタイトルが「デモはあまり意味がない」 という否定であったことからです)
また、私は「デモの参加を迷う事自体、脱原発の姿勢を疑う」とかつて断定をされた経験(※2)があり、事例として取り上げました。そのデモの趣旨は超党派と謳われていましたが、違和感を感じました。
このことを私が取り上げた理由は、私自身が経験したデモ自体を批判するためではなく、<今回私が課題としたこと・伝えたいこと>で書いた、「あなたは◯◯主義だ」と決めつけられた経験もあわせて整理すると、「お互いのスタンスや違い、手法を認め、主義・主張を超えて話し合いすることが必要ではないか」というメッセージを伝えたかったのです。政治家だけでなく、区民にも必要なことだと感じています。
(※2) かつて区内で行われたあるデモへ区議としてお招きを頂きました。私のような20代はデモと縁遠い方が大多数ですが、私自身参加すべきか悩みました。最終的に少しでも力になれたらと想い「参加させて下さい」とお伝えしました。しかし「デモへの参加を迷う事自体、脱原発の姿勢が疑わしい」と主催者から出席を認めないとの連絡がありました。脱原発の姿勢を疑われることのつらさはご理解頂けるでしょうか。大変に残念なことでした。
<ご指摘に対するご説明 (2011.12.04. 更新)>
「デモの参加に迷ったことで、脱原発の姿勢を疑われ参加を認められなかった」という私の報告に対し、そのような事実はないと実行委員会に参加されていた方からコメントを頂きました。「区議挨拶とデモ参加を混同しているのではないか」とのご意見もありました。
区議挨拶については、「タイムスケジュールも確定しており、実行委員会としては、区議としての挨拶を井上さんにお願いするということでは合意がとれなかった」と伝えられたとのことですが、実際私には、「準備が間に合わないのではなく、脱原発の姿勢が疑わしいので、脱原発についての話をしてもらえるのかが分からないと判断されました」と伝えられました。
「デモの参加は拒否していない」ということですが、姿勢を疑われる中、デモに参加することは不可能です。
さらに、「井上は顔を売るために挨拶をしたかったのだろう」という穿った見方もあるようですが、挨拶をしたいのなら、そもそも参加を迷ったりはしません。また、票集めのためであれば、今回の報告もしません。市民活動が活発な板橋区が私の目指すところでもあり、逆に率直な意見も述べることもあります。
今回、この議論を巡っては、論点が度々移ってしまいましたが、「デモの参加を迷う=脱原発の姿勢を疑う」は違うということが共有できたことは幸いに思っております。
また、実行委員会に参加された方から、今回の私の発言は、「根拠のない誹謗中傷ではないか」とのご意見を頂いております。今回、デモ関係者からのお問い合せにより、実体験に基づく事実について細かな部分まで報告せざるを得なくなりましたが、そもそも私の目的は、固有の団体の問題点を指摘するところにはありません。主義や手法の違いを、お互いに認め合った上で、より良い社会の実現に向かって行けるようにと願ってのものですので、ご理解頂けましたら幸いです。